たかひら正明のブログ

行政書士として法律を駆使して行政に切り込み、 防犯設備士として犯罪を予防し、 防災士として南海トラフ地震対策を行い、 柔道整復師として地域医療を発展させる!

またもや天の声政治!岸和田市庁舎は今の場所に大どんでん返し決定!

「無脳」と私が評しているように、な~んにも考えることが出来ないようなアホボンが市長のような権力者になると、その力は赤子以上に狂った使われ方をするとの典型例が、またもや岸和田で行われた。


1月28日に行われた、庁舎建替え検討委員会。
私は行かなかったが、情報が入ってきたので速報としてお伝えする。


なんと、これまで野田町ありきで2018年に市民や議会に説明していた、その場所を今日になって、突然の大どんでん返しで、「今の場所で建て替える」と永野耕平・市長が断言した。


これには議員らも唖然とし、怒り心頭だ。


理由は、「もっぺん野田町と詳細に比較しなおしたデータ出せって、年末に委員会で言われたやん。 ほなけん、もっぺん見直したら、『この場所の跡地って、5Fまでしか建てられんとか縛りがあるし、売れんよねぇ・・・・』ってなって、点数が0.02とかの差になったわけよ。 だもんで、決定は市長のボクチンに委ねられたの。 僕って、何も考えたことがない人やん。 やけん、どっちゃでもええわと興味なかったんやけど、何や『今の場所にせぇ』とか言う人がいて、ほならそがいすっで、よいよ。 となったわけさ」
などと西から北まで各地の方言が入り混じって、決定されたようだ。


無脳の頭をなんぼ叩いたところで、シワがないどころか、脳自体が入ってないんだから、説明などできようがない。


確かに岸城町(南北)、本町での住民説明会では、「跡地どないすんない!」と言われておった。
https://www.city.kishiwada.osaka.jp/uploaded/attachment/67764.pdf
だが、本当の理由は、吉野富博・岸和田市町会連合会会長が反対したことだろう。


吉野氏は、「歴史、城、役場に多い岸高出身ではないが、岸城中出身者として、近くにあって欲しい」願いを常々語っていた。
「1922年の市制施行以来、一貫して市政の中心地である」とも言われる。
だが、逆説的には1922年の栄光をいつまで経っても引きずり、「昔は良かった」として無策のまま沈没船として海底に沈む将来を求め、それを次の世代にも押し付け続けるとの意味にも取れる。


今では小学生に訊いても、岡部氏ではなく「岩出建設が建てた」と言われてしまう(TV岸和田の宣伝効果による)岸和田城の前の二の丸交流センターを建設した際、吉野氏は城周辺整備協議会の会長であった。
吉野氏は1級建築士として、「二の丸跡は文化財調査があるので、それに備えて建物の軽量化せよ」と提案。
その「提案をした」自慢話は、町会どころかあらゆる場所で、彼の饒舌だが、何を言うているのかサッパリわからんマウスから喧伝されていた。


自慢ができた功績によって、吉野氏は、文化財調査に時間と銭がかかることを広めまくったので、現地での建て替えを提案すれば、二の丸交流センターの時と主張に矛盾が生じるにもかかわらず、現地建て替えを永野市長にプッシュしてきた。


他に委員会や本会議には顔を見せないのに、庁舎建て替え委員会では傍聴するその姿も、その圧力の一つ。
だが、吉野氏は連町会長として、月例の会議に諮っているのか?
私は出席する立場にないが、町会長らからそのような話は聞かない。


一体、吉野氏は、私人として傍聴しているのか、連町会長として傍聴しているのかどっちなんだ?
「私人として」と言うなら、それを分けられるとの主張根拠は何だ?


まさに、岸和田市特有の公私混同ぶりが、ここでも見られ、そんな力によって、市庁舎の場所選定すら変えられてしまうとの実例だ。


そもそも今の市役所の場所が、市の中心で南端にあるのも、泉南まであった岸和田藩の名残で泉佐野まで一体化して岸和田市となる話があったからこそ、岸和田市内でも中心部でなく、南端である今の位置に市役所をもってきただけのことで、今なら場所さえあれば東岸和田駅近くに移転するのが、住民サービスの観点からも適していると考える市民は多いのではないか?



そんな永野無脳を見透かし、自らが市長になれなくとも、この無能をコントロールすれば同じことかと悟りを開き、供託金没収~トな市長選挙出馬を取りやめ、永野応援に回る。
そのかいあって、永野市長になってからは、同年、議会に蹴られていた議員定数削減(26→24人へ)を決め、今回2度目のシュートも決める。


2019年統一選挙より岸和田市議会は、26→24議席に。 市民の声の市政反映ははますます遠く・・・
https://watchdogkisiwada.wordpress.com/2018/03/30/2019%e5%b9%b4%e7%b5%b1%e4%b8%80%e9%81%b8%e6%8c%99%e3%82%88%e3%82%8a%e5%b2%b8%e5%92%8c%e7%94%b0%e5%b8%82%e8%ad%b0%e4%bc%9a%e3%81%af%e3%80%8126%e2%86%9224%e8%ad%b0%e5%b8%ad%e3%81%ab%e3%80%82%e3%80%80/
を読めば、吉野連合町会長の要求である定数削減が、何の根拠もない、単なる言いっぱなしで無策な政策だとわかるはずだ。


これは税金ネコババな永野市長の意味なき願いを叶え、議会にタカヒラを入らせないようにとの議会の願いも叶える武器にもなった。


連町会長と市長がタッグを組めば、そのタッグ名は「ヤノ奴隷ブラザース」とでも名付けるのか?
それとも「半グレの手下1,2」か?



しかも時期も無茶苦茶だ。
総務省は、熊本地震を教訓にして、耐震化が未実施となっている市町村の本庁舎の建て替え事業について、地方交付税で支援する「市町村役場機能緊急保全事業」を、2017年予算で新設しており、これを使うのだが、本来、「自前で一定貯金持っとけよ」だった建て替え費用を、
自前の基金取り崩した上で、
費用の90%を、市が「市町村役場機能緊急保全事業債」ちゅー債券発行して借金しても良い、
借金の75%を交付税としてあげちゃうもんね、
更に交付税とする金額について、その元金と利息の30%を必要な一般財源(基準財政需要額)として、計算してもええで、
と、これまでの
一般単独事業債として、借金の75%やったら、沙金してもええ、
でも地方交付税は国からやらん、自前でやれ
と比べると、ずいぶん緩い条件になっている。


耐震化後の本庁舎が、災害時に機能を継続するBCP(業務継続計画)に位置付けられることが要件なのだが、こんなことは言われんでも、中小含めてどこの企業でもやるわいって話で、この条件も緩い。

但し、2020年3月末までに、市と建設業者が、その図面見ながら工事内容と工事費用を確定し、工事請負契約を交わせる実施設計までは終わっとけよ。

詳しい条件↓
大阪府/【自治大阪H29年11月号 相談室】市町村役場機能緊急保全事業を活用した庁舎の建替えについて
平成29年11月28日
http://www.pref.osaka.lg.jp/shichoson/jichi/2911soudan2.html

ということで、3月議会には7F建て新庁舎建設調査の予算が出されるはずだ。
議会の賛否はどうか?


移転ならば26議員の2/3(議長抜き17人)必要だが、現地建て替えなので、1/2(13人)で決定されてしまう。


これまで公表されている予定通りなら、2022~25年までかかって完成。
しかし、こなから坂を挟んだ駐車場に仮市庁舎をつくって、中身を引っ越しして、今と同じ場所に建った新庁舎に再度引っ越しって、その計画でいけるんかね?


野田町会も渋滞などの懸念はあるものの、一定理解は得られているようだったし、駅から近くなることは高齢化が進み、歩行に不安がある市民が増える今後にとっても、福祉センター前に移転した方が良かったのではないかと考えるのだが・・・・


そして、福祉センター前は売られていくのだろう。
ホテルならまだ良いとしても、どこに売られ、何に使われるのか?


これもしっかりと監視が必要だ。



資料:
岸和田市役所は1954年、新館は71年建設。
98年の耐震診断で、震度6強以上の地震で倒壊の可能性が高いと判断され、2011年から本格的に建て替えを検討してきた。


これが旧福祉センターと共に法定耐用年数の60年を待たず、45年程度で壁の崩れなど、ボロボロさが見えだしたのは、旧耐震であることもさることながら、岸工会事件の談合で建てられ、安い海砂をきちんと洗わずに使ったからとも言われます。


談合で建って、談合で場所が選定され、いずれ潰す仮庁舎も含めて談合で建てる手はずか?
まさに、銭とコネで腐った岸和田市政の本丸にふさわしいと、後世にも語り継がれよう。


岸和田市庁舎移転は、野田町の福祉会館で決定の模様。 http://mitumerukisiwada.seesaa.net/article/460520690.html





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