たかひら正明のブログ

行政書士として法律を駆使して行政に切り込み、 防犯設備士として犯罪を予防し、 防災士として南海トラフ地震対策を行い、 柔道整復師として地域医療を発展させる!

岸和田市議選に向けての、野口聖・元市長の絡む水面下でのゴタゴタ 

4月21日投開票の岸和田市議選挙に向けて、各陣営が水面下でうごめいている。
私のように戸別訪問をする先もなく、選挙準備の雑務に追われる者と異なり、現職らは戸別訪問をしまくっており、春木地区でも何人もの市議が同じ個人宅を訪問するなど、10人も落ちる選挙となれば、皆、目の色を変えて「入れて入れて」と駆けずり回っている。


脇目もふらずに「入れて入れて」と走り回っているのかと思いきや、他の市議に対する恨み節も聞こえてくる。


2015年は山田幸夫(自民)市議の選挙カーの運転までかってでていた野口聖・元市長が、今回は反甫旭(自民)市議&岸和田自民支部長を挨拶に連れ回っており、
いくら野口兄の妻が反甫パパの叔母とは言え、2回の選挙で野口支援をしてきた市議や支援者らは怒り爆発だというのだ。


その筆頭が“泉州一いじましい男”エッツジィ~こと、稲田悦治(岸和田創生)市議。


そもそも野口氏が反甫氏を応援している理由は只一つ。
競輪利権である。


それについては以前もお知らせした。
太田房江(自民)参議員と、ヤノ競輪利権
http://mitumerukisiwada.seesaa.net/article/463833030.html


ヤノ利権のためにG1レースを誘致し、利権促進のために自民岸和田支部をヤノ出張所にして、日田孝志専務を送り込んで恐怖政治で乗っ取り、傀儡にまだ1期目の反甫氏を据えたのは、支部顧問として君臨する野口氏である。


岸和田市政史を紐解けば、
1973年 岸工会なる談合組織の存在がバレた、中澤米太郎市長VS原昇氏の市長選挙。
中澤市長の落選と同時に退職したのが、寺田茂治・秘書係長。
寺田茂七商店 専務取締役&春木旭町のこの花保育園理事長で、烏野隆生(自民)市議の叔父である。


その後時は過ぎて
1993年 原昇市長VS寺田茂治氏の市長選挙が繰り広げられた。
この時、寺田氏についてたのが現在の岸和田市長である永野耕平一家で、永野学園の八木保育園で勤務していた保育士が、退職後に原昇・市長陣営の後援会で事務仕事をしていたら、預かっているその子どもを退園させるよう迫った事件は、新聞報道されている。


政治を保育園に持ち込む、あっぱれな永野一家! さすが子どもより永野家ファーストな永野学園だけあるわ
http://mitumerukisiwada.seesaa.net/article/457748046.html


記事内で、「園が一丸となって一方の陣営を応援しているのに、以前ここで勤めていた人が対立陣営についたと訊いて、感情的になってしまった」など、バレたんだから、なんとか取り繕うしかないとごまかしているのが永野三郎・園長だ。
現在の肩書は、熊取のさくらこども園長、子ども福祉臨床研究室主宰。
耕平市長のパパ孝男氏の末弟である。


そしてこの新聞記事によって、寺田氏は落選する。
こうして寺田市長・永田助役(総務部長から報奨繰り上がり人事)ラインは消えた。
2017年市長選挙で噂された、西田武史・市長ー京西且哲・副市長ラインが、私の落選運動によって夢破れたのと同じ構図だ。


そして、永田氏も男の美学か、役場を去る。


ちなみに原市長には、ヤノコーポレーションがついている。
私が原氏を“談合、土建屋”と称す理由だ。


野口姓絡みでは、別の「野口」氏も原氏を応援している。
私と同じく、この4年間で3回の市議選に出馬している野口徹氏の父だ。
徹氏のいとこである野口聖氏からは、叔父さんにあたる。
この人は、軍人恩給連盟なる、遺族会と同じく自民支持母体の会長をやるほどの人であり、当然国政選挙では自民応援をしていたが、岸和田市長選挙では世間では共産党と見られている原氏を応援している。


これは同じく軍人つながり(原氏は士官学校→特攻隊あがり)でもあり、“人事の原”と言われるほどの人心掌握術を得意としていたので、それらに理由によるものだろう。


これまで3回の選挙において、ついに2018年2月市議補選で、私は徹氏に票数で負けるのだが、これは自民票と野口聖票が徹氏に流れたからであり、そんな組織選挙に組織がない市民派の私が負けたのは、今の岸和田では当たり前のことであったろう。


更に時は過ぎ、21世紀となって、
2005年 32年間もの原市政が終わる。
秘書課長、総務部長、収入役を努めるも、終着駅と楽しみにしていた助役になりたかった野口氏。
自身が市長に・・・とまでは危ない橋を渡りたかったわけではなかったろうが、ここまで尽くした原市長は、自分を後継指名するだろうと夢に描いていたことだろう。
山田&稲田の親分子分コンビを収入役室で焚き付けて、自身の原レールに沿った楽々市長選挙の段取りを行ったのも一度や二度ではない。
市長指名もされていないうちから役場を退職したのは、ウキウキとはしゃぎすぎたからなのか?


しかし、その目論みはもろくも崩れ去る。
原氏が後継に選んだのは、裏でつながっている自民系ではなく、表の顔としての共産系、
大阪市立大学名誉教授の谷口誠氏であった。


怒りの野口氏は自身が出馬。
市議の〆野久寿喜氏、元岸和田市役所職員の西川治氏ら3人の候補者を破り、初当選する。


ここでもおかしな話がある。


エツッジーは、〆野、岡本冠一の両氏と「岸和田21」なる会派を組んでおり、そこに鳥居宏次氏も後に参加している。


そもそも〆野氏は助平心で後から参戦表明しており、岸和田市長選挙において、議員報酬をもらいながら市長選挙をやった“税金ネコババ”のパイオニアだ。
彼は、告示日に自動失職することによって議席が一つ空きができ、「数カ月分の議員報酬<1年数ヶ月の議員報酬」と説明していたが、それだけ議員は報酬に達するほどの仕事すらもしていないと、議員自らが自白した例として、後世まで語り継がれる名台詞となっている。


この時、鳥居、岡本氏は会派のよしみで〆の氏を応援するが、エッツジーは収入役室のぬくもりを忘れず、野口氏を応援している。


このエッツジーによる、その後のおかしな行動については、稿を改めたい。




反甫氏に関しては、
こんな選挙前だけ「決起集会」なぞやるなら、市民に対して市政報告の一つでもこの4年間にやっておけ!
と言っておく。
        

        


市政97年目にして、町会や大きな組織、宗教団体など支持母体以外の幅広い市民に、誰も市政を報告をやってこなかった岸和田市を「市民のための民主主義のある街」へと変えるには、このような選挙前だけしか議員を見ない現状から変えねばならない。



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